鎮座地

拝殿

〒287-0017
千葉県香取市香取1697

※平成18年3月27日佐原市・小見川町・栗源町・山田町が合併し、「香取市」が誕生。
(旧:千葉県佐原市香取1697)

御祭神

経津主大神(ふつぬしのおおかみ)
<又の御名伊波比主命(いはひぬしのみこと)>

例祭日

4月14日 6年に一度 勅祭

御祭神の神話

経津主命

皆さんは、出雲の国譲りの神話をご存じでしょうか?
香取の御祭神 経津主大神(ふつぬしのおおかみ)は、この神話に出てくる神様です。

はるか昔、高天原(天上の神々の国)を治めていた天照大神(あまてらすおおみかみ / 伊勢神宮・内宮の御祭神)は、葦原中国(あしはらのなかつくに / 現在の日本)は自分の息子が納めるべきだとお考えになりました。
葦原中国は荒ぶる神々が争い乱れていたため、天照大神が八百万神に相談すると、天穂日命(あめのほひのみこと)がすぐれた神であるということで出雲国の大国主神(おおくにぬしのかみ)の元に遣わされましたが、天穂日命は大国主神に従い家来になってしまいました。次に天稚彦(あめのわかひこ)が遣わされましたが、天稚彦もまた忠誠の心なく、大国主神の娘である下照姫(したてるひめ)を妻として自ずから国を乗っ取ろうとし、天照大神の元に戻りませんでした。
このようなことが二度つづいたので、天照大神が八百万神にもう一度慎重に相談すると、神々が口を揃えて、経津主神こそふさわしいと言いました。 そこへ武甕槌大神(たけみかづちのかみ / 鹿島神宮の御祭神)も名乗り出て、二神は共に出雲に派遣されることとなりました。
出雲国の稲佐の小汀(いなさのおはま)に着いた経津主、武甕槌が十握剣(とつかのつるぎ)を抜き逆さに突き立て武威を示すと、大国主神は天照大神の命令に従い葦原中国を譲りました。
二神は大国主神から平国の広矛(くにむけのひろほこ)を受け取り、日本の国を平定して、天照大神の元へ復命されたのです。

御神徳

古くから国家鎮護の神として皇室からの御崇敬が最も篤く、特に『神宮』の御称号(明治以前には伊勢・香取・鹿島のみ)を以て奉祀されており、中世以降は下総国の一宮、明治以後の社格制では官幣大社に列し、昭和17年、勅祭社に治定され今日に至っています。

奈良の春日大社、宮城の鹽竈神社を始めとして、香取大神を御祭神とする神社は全国各地に及んでいて、広く尊崇をあつめています。
一般からは家内安全、産業(農業・商工業)指導の神、海上守護、心願成就、縁結、安産の神として深く信仰されています。さらに、その武徳は平和・外交の祖神として、勝運、交通 安全、災難除けの神としても有名です。

式年神幸祭

神幸祭は毎年4月15日に行われておりますが、12年に一度の午年には15・16日の両日に掛けて盛大理に執り行われます。

元は式年遷宮大祭の名で20年に一度行われていたとされていますが、戦国時代以降、式年遷宮が行われなくなり、替わって12年に一度ずつ神幸祭を行うことになり今日に至ったとされています。
現在、15日は御神輿を中心として氏子数千余名の奉仕員が行列を組み神宮を出発し津宮へと進み、利根川沿いの鳥居河岸より御座船に移り船上祭、ついで鹿島神宮による御迎祭が行われた後、利根川を遡り佐原河口へ御上陸し御旅所に御駐泊。翌16日も同様に行列を組み、市内を巡幸し、陸路を神宮へ還御というかたちで斎行されています。